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p243 宇田雄一「古典物理学」
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【SEOテキスト】宇田雄一「古典物理学」2-5-3物理理論の理想像,古典物理学において理想的な理論とは何かを、次の四つの条件を基準にして考えてみたい。[条件1]自然全体の歴史を自然の可変的な部分の歴史だとする、自然の数学的古典理論であること。[条件2]擬場形式の理論であり、かつ局所性を持つこと。[条件3]N=R(B)×Aとするとき、時空点に関してBが統一されており、かつ場に関してAが統一されている。[条件4]自然のマッハ模型であること。この四つの条件を全て満たす理論が理想的な理論だ。古典物理学においては、理想的な理論がそのまま現実的な理論でもあるだろうと考えられた、と言っても良いと私は思う。まずは上の四つの条件を全て満たす正しい理論が存在するだろうと考え、仮にそうでなかったとしても、条件4を除く三つの条件を全て満たす正しい理論が存在するだろうと考え、それもダメなら、条件1と条件2の両方を満たす正しい理論が存在するだろうと考え、それもダメなら、せめて条件1を満たす正しい理論ぐらいは存在するだろうと考えるわけだ。古典物理学においても現代物理学においても、基礎的なレベルでは、現実は理想に一致するはずだというのが、それを認めるか否かにおいて意見の分かれる最大の指導原理だろう。私はこの原理を一応は認める。この原理を認めない側の人々を見分けるには、その人が「物理学とは近似なり」とか「統一は無用だ」とか「電子が全くの点であるなどということはあり得ない」とか言うのを聞くだけで十分だ。認める認めないは信仰の問題だと言える。私は電子が点であるはずだと言っているのではない。点であるはずがないと言う人はきっと現実が理想に一致するはずがないと考えているのだろうと言っているだけだ。「はずだ」の否定は「はずがない」ではなく「ないかもしれない」だということも肝心だ。また、私は理想的な正しい理論の存在を絶対だと思ってはいないが、物理理論の根本的な限界が明らかにされると
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