【SEOテキスト】宇田雄一「古典物理学」ようとすれば、本書のように座標系と純数学方程式に分解することになります。本書では方程式の変数は数や関数のみです。物理量を方程式の変数とはしません。具体的に書くと記述が繁雑に成りますが、その分概念的な難しさが減ります。座標系を指し示す語(MSUIJなど)を露骨に用いて、物理理論を数学部分と物理部分に分離して置いたおかげで、繰り込み(§2-1-7§3-1-6)を理論の数学部分についての純数学的な操作として明瞭に描き出すことが出来ました。繰り込みについての従来の解説は、数学と物理学をゴチャ混ぜにして(質量などの語を用いて)行われるので、繰り込みの正体を見誤らせる力を持っています。本書では、もとの方程式を参考にしつつも、それを捨てて新しい方程式を探すのが繰り込みとされます。他書を読んで勉強したとき、私はその点の見極めを付けるまでに大変時間が掛かりました。もとの方程式の枠内で結論が出るのか否かがハッキリ書かれていないからです。繰り込みだけではありません。逐次静止系(§2-3-3)や局所ローレンツ系(§3-1-8)も、まず本質的な部分を純数学定理として抽出する事から出発できたのは、物理理論を数学部分と物理部分に分離して置いたからこそです。この分離の一翼を担っている§3-1-Aでは、ベクトルやテンソルの上付・下付成分といった物理・幾何概念の混入を避け、純数学概念(数列・行列・関数など)だけで構成するために、gやgを用い微に入り細を穿って書き尽くしています。そこまで書くか、といった感じです。言語の基本要素への還元を本書の程度にまで徹底すれば、文献[19]205,227-230ページに扱われている「ベクトルは矢か否か」といった問題は、初めから存在しません。私は本書を具体的に書く事だけでなく、一般的に書く事にも努めました。本書では、原因や局所場や統一の定義がマッハ模型一般について行なわれます。具体的一般的に書く事はまた、物理理論の限界を調べるという目的の達成に貢献します。具体性と一般性は一見矛盾するかに見えるが、基礎レベルに於いては両立します。また、具体的一般的に書くことによって、ニヒルな味が出ています。枯れた味わいとでも申しましょうか。結果としてそうなったという面もありますが、ニヒルな味を出すことが私の狙いでもありました。ニヒルに書くことによって、真にミステリアスなのは何かが見えて来ます。文の後に「それだけの事よ」を補って読んでみると良いでしょう。マッハのmn描像の後に付けるとピッタリではありませんか。この句を付けるとどうも変な感じがする所があれば、そこは自然の真にミステリアスな部分です。具体性・一般
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