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p302 宇田雄一「古典物理学」
【補足説明欄】
「時空の位相がどの様であるかという事と、時空が曲がっているか否かとは、論理的には関係がない」というのは、私(宇田)の誤解であるらしい事が、後で数理科学2011年4月号の8ページから14ページまでの谷村省吾さんの「ホロノミーと力学系」という記事を読んでいる時に、分かりました。2012.09.25
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【SEOテキスト】宇田雄一「古典物理学」【1e】∀P:Mの時空点;∃n∈N;P∈D(n);【1f】∀P':M'の時空点;∃n∈N;P'∈D'(n);【2】MとM'とは同位相だ、と言う。風船貼りに例えれば、D(n)を貼り合わせてMという風船が出来ると言える。糊代に当たるのはD(n)∩D(m)で、条件【1d】は糊代についての関係を表す。さて条件【1】に、さらにS(n)の値域上の(S(n),σ)計量とS'(n)の値域上の(S'(n),σ)計量とが、全てのnにわたってことごとく一致するという条件を加えたならば、MとM'の関係は、質量も電荷も等しい二つの質点の関係に類似したものになる。このとき、MとM'は等しい、と言うことにする。質点の同一性を論じたときと同様にここでも、MとM'が等しければMとM'は同一だ、と考えることにすれば、一つの時空内の二つの領域をそれぞれ時空と見なしたとき、その二つの部分時空が同一という事もあり得る。これは、一つの時空内の時空点の区別を脅かす。だからここでは一応、MとM'とが等しくても同一とは限らぬことにしておく。しかし、MとM'が等しければ同一だと考えることが絶対に出来ないことをここで私が証明したわけではない。時空の同と等の区別を撤廃する方向で考えてみるのも面白そうだ。円周や輪についての話のところで、写像の定義域として{θ|0≦θ<360}や{θ|0<θ<270}などを用いたが、これは話を分かり易くするためであって、論理的には必要なことではない。写像の定義域を全て{θ|0≦θ<1}や{θ|0<θ<1}などにそろえておいても構わなかった。時空の位相がどの様であるかという事と、時空が曲がっているか否かとは、論理的には関係がない。時空が曲がっているから時空の位相がN01の位相と異なる、のではない。特殊相対性理論に、N01の位相と異なる位相を持つ時空を持ち込んでも、全く論理的な不都合は生じない。時空が曲がっていることと時空の位相との関係は、時空が曲がっているのを見て人間は、時空の位相がN01の位相と異なるかもしれないことに気付いた、という歴史的なものに過ぎない。§3-1-9で述べたマッハの予想を再現するために、アインシュタインは、時空の位相についての
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