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p72 宇田雄一「古典物理学」
このページの上端へ行く ホーム 前のページ 次のページ 宇田雄一について
【SEOテキスト】宇田雄一「古典物理学」瞬間に注目して、電磁波の進行方向に沿った直線上で、電磁場の空間的繰り返しのパターンが、どれだけの長さ毎に現れるかが波長だ。電磁場は静電場と静磁場と電波と光と放射線にきっちり分けられるかと言うと、そうは行かない、これらは典型例に過ぎない。電磁場の中には、電磁波と言うべきか否か決めかねるものもある。その意味で上図に「その他」と書いて置いた。§3-1では重力場を、電磁場に似ているが電磁場とは違う実在として扱う。電磁場と同様に重力場も、実在と言うよりは事象と見なされるべきものだ。ここまでで、実在という語を使う代わりに、物理的事象という語を使う方向へと、話をまとめることが出来る。質点については、それが実在か否かというレベルに目を向けるのではなく、質点の運動の歴史が、客観的事象か否かというレベルに目を向け、実在という語は質点の運動の歴史を書き表すための特殊な構成要素に過ぎぬ、と考えるのだ。客観的事象,質点の運動(の歴史)電磁場(の歴史)重力場(の歴史)こう考えれば、電磁場や重力場を実在と言うことの気まずさから逃れられる。§3-2では、時空の中に重力場が実在しているとか、時空の中で重力場が起こっている、と言うのではなくて、重力場を時空の特徴と考える。さて、このときには、時空を実在と見なすのも事象と見なすのも上手くないのではないか。「時空がある」という言い方は出来るのか。「時空が起こっている」は拙いと思う。それでも、自然を言語で記述するときには、真偽の定まる命題として表現するしかない。§3-2で歴史とされるものの各々は、各時空とその中での事象の関係を言っているのみで、私たちが実際に経験している事象に言及していないから、真か偽か定まらない。この事態を改善するためには、これらの歴史の各々に、私たちが実際に経験しているのはこれだ、という文を付加しなければいけないのではないか。妙な話だ、私という語が必要になるのか?§3-1まででは、時空は一つしかないので、そういう問題は起こらなかった。本書では、所々で実歴史という語を使って私たちが実際に経験している歴史を指し示そうとしたが、隔靴掻痒の感が残ることを否めない。
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