【SEOテキスト】宇田雄一「古典物理学」力とか電流)を上手に発明して、それらを用いて法則を言い表すのが、科学史の実際だ。実証主義的な態度に固執すれば、何も発見できないか発見が著しく遅れたことだろう。実証主義の産物であるかのように言われることのある量子論も、解釈の問題が未だにくすぶっているところを見ると、例外ではないのではないか。実際、量子論は古典論に無い新たな基礎未定義語を用いて述べられる。アインシュタインは、相対性理論を作るに当たってマッハの実証主義の影響を受けていると言われる。標準系の方がローレンツ系やガリレイ系や絶対静止系よりも任意だという点において、一般相対性理論は実証主義的だが、一般相対性理論も、非相対論的理論に無い新たな基礎未定義語を用いて述べられる点で、実証主義に逆行している面を持つ。マッハがアインシュタインの理論を受け入れなかったのは、このためかもしれないし、あるいは、実証主義者自身が、実証主義から何か新しい結果が出て来るはずがない、と考えていたことの現れなのかもしれない。もともとは、科学者が直接には感覚できない物事を指し示す語を発明したとき、それを聞いた人は、まずそれをわけが分からぬものと感じるが、それらの語の使用に習熟したり、自分でも新しい語を発明したりするにつれて次第に、自分の用いている語が直接には感覚できない物事を指し示すという点を、欠点とは感じなくなる。むしろ、そういった語を上手に操ることが科学的な新しい知り方なのだ、と考えるようになる。実証主義は、こういうありふれた態度において、当初の「わけが分からぬ」という問題意識が麻痺していることを、指摘する役割を果たした。だから、実証主義を批判する人の批判理由は「それが非生産的な知的退行だから」ということだろう。
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