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p309 宇田雄一「古典物理学」
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【SEOテキスト】宇田雄一「古典物理学」経験的に直接確認できるのは何か,任意に選んだ座標系について、それが絶対静止系であるのか否かは、直接経験的には確認できない。絶対静止系であるか否かの確認は、結局はその座標系での運動方程式がどういう形になるかの確認にすり替えられる。すなわち、直接ではなく、間接的に確認される。任意に選んだ質点について、その質点の質量と電荷がいかなる値をとるかは、これもまた直接経験的には確認できない。質量や電荷の測定は、結局は質点の運動の測定にすり替えられる。力についても同じだ。これらのすり替えが、基礎未定義語を減らすことに対応する。電磁場についてはどうか。直接経験的に確認できるか否かという問題の答えは、論理的に導き出せるものではない。今まで、私が出来ないとして来たものについても、俺には出来る、俺には超能力があるのだ、と言う人が出て来れば、話は難しくなる。特定の物理理論からそれが不可能であることを示すことは出来るかもしれないが、ここでは、理論が正しいか否かを確認しようとしているのだから、それでは、循環論法の過ちに陥ってしまうことになる。だから、この問題については、読者のみなさんが私と同じ感じ方(出来ないという感じ方)をするものと仮定して話をして行くしかない。さて電磁場に話を戻そう。電磁場は直接確認できず電磁場の確認は質点の運動の確認にすり替えられる、と言いたいところだが、本当にそうだろうか。確かに、なんとなく質点よりも電磁場の方がうつろな感じはする。しかし、触覚的および視覚的根拠を持って来て、質点は可触かつ可視であるのに対して、電磁場は不可触かつ不可視だからそうなのだと言うならば、それは誤っている。なぜなら、私たちが、身の周りの巨視的物体を見ているとき、物体を直接見ているのではなく物体で反射された光(一種の電磁場)を見ているのだし、物体に触れたとき感じる圧覚は物体を構成する質点から直接受ける力によるものではなく、その付近の電磁場によるものだからだ。「〜が見える」という言い方については§2-1-4の説明を思い出して欲しい。こう考えてみると、私たちは質点を通して電磁場を知るのではなく、電磁場を通して質点を知っていることになる。§2-2-1のT22(P1,・・・,Pn;S,I,J)のところで述べたように、電磁場は学問上の虚構なのかもしれないが、それを確かめる術はないのだった。このようなわけで、質点よりも電磁場の方がうつろだという事を誰も確認した者はいないのだ。だから本
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