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p333 宇田雄一「古典物理学」
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【SEOテキスト】宇田雄一「古典物理学」い文になる。これは経験文だ。ただし、fにはR(3×2)の何れかの元を代入しておくものとする。「{MT(g)|g∈R(3×2)}の元を可能な歴史と呼ぶ」などの恣意文を付け加えることは任意だ。さて、この場合には、MT(f)が何を意味するのか知る唯一の手掛かりは、実況直面的な言語習得の方法だけとなる。それなのに、この方法はここでは役に立たない。なぜなら、実歴史はただ一つのfに対応するMT(f)だから、色々なfに対応するMT(f)を経験することが出来ないからだ。この事情は、年がら年中晴れならば、「曇り」や「雨」という言葉ばかりでなく「晴れ」という言葉も発明できないのに似ている。ただ一つの実歴史の中で実況直面的に措定された言語を用いて書かれたMTによって、なぜ実歴史以外の歴史を言い表せるのかを、前節§4-3末に述べた。これは、MTの定義を知らなくても、MT(f)が実歴史を表すならば、NTの各元iに対してf(i)が実歴史のどの局部を表すのか実況直面的に推理して行くことによって、g≠fのときのMT(g)が何を表すのか知る、という行き方に当たる。しかしMTでは、その行き方が非常に馬鹿げたものに見える。これは、NTの元の個数が話にならないくらい少ないからだ。NTの元はたったの6つしかない。これでは推理できない。推理のための材料が少なすぎる。あなたの経験している質点の実歴史は(3,1,5,4,2,2)です。さて、それでは(1,1,9,5,8,2)は質点のどんな歴史を表すでしょう。分かるわけがないのだ。§2-4-1では、「可能」という語と運動方程式を用いることが、人間の恣意によるものであるかのような書き方をしたが、運動方程式を上手く取り除けそうにないことからして、それらを用いることには必然性があるようだ。これは何に由来するのだろうか。人間の大きさや機能の特殊性に由来するのだろうか。もしそうだとすれば、真の意味での必然性とは言えない。
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