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p5 宇田雄一「古典物理学」
このページの上端へ行く ホーム 前のページ 次のページ 宇田雄一について
【SEOテキスト】宇田雄一「古典物理学」ません。本書は運動方程式の解を求めるなどの技術的な問題には触れません。定理の証明も行ないません。だから、本書は方法の書(ハウ・ツーもの)ではなく結果の書です。以上が報告書部分について言えることです。あらゆる物理理論に共通の限界、という観点からの評論は第四章だけですが、特定の物理理論についてのみ言える事なら、第二章・第三章にも評論めいたものがたくさんあります。第二章で最大の評論部分は§2-5-3です。この部分を私は、アインシュタインの実在の判定条件([32]参照)からヒントを得て書きました。マッハ模型(§2-1)、局所場(§2-2)、統一(§2-5)といったテーマは全て、§2-5-3に従属します。対称性(§2-3)も統一(§2-5)を通して、やはり§2-5-3に従属します。§2-4は、結果でなくプロセスについての評論です。これは§2-5-3に従属しません。しかし重要です。目から鱗を狙っています。§2-4の内容は、第四章と正反対の方向性を持つと言えるかもしれません。第三章で最大の評論部分は§3-1-9です。第二章から第三章への大きな流れとしては、一般相対性理論が第二章の形式の中に収まり切らず其処からはみ出す、という構図になっています。本書の関心は物理理論の限界に向けられていますが、この問題を解くことは最終目的ではなく、自然そのものを知るための手段に過ぎません。自然と言うと、山川草木花鳥風月を連想する人が多いと思いますけれど、私の言う自然は自然現象や自然物ではなく、形容動詞の「自然な」です。「自然な」の何たるかを知ることこそが、自然科学の究極の目的だと思います。本書も、この方向性に逆らうものではありません。本書の関心は文法レベルでの自然にあります。どんな人に読んで欲しいか,あらゆる人に読んで欲しいと思っています。古典物理学という題を付けておくと、「なんだ物理学か、それも昔のヤツだな、俺には関係ないや」という反応が予想されます。しかし、それは誤解です。一つは、古典という語についての誤解です。文学では現代文よりも古典の方が日常からかけ離れていますが、物理学ではその反対です。古典物理学は現代物理学(量子論)よりも常識に近いのです。量子力学では「粒子の位置と速度の両方が同時に確定することはない」と言います。あら不思議。また概念構成も、古典物理学より量子論の方がアカデミックなものになっています。したがって、「古典だから関係ない」という発想は間違いです。も
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